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千葉地方裁判所 昭和56年(行ウ)5号 判決

原告

オリエンタルモーター株式会社

右代表者代表取締役

倉石得一

右訴訟代理人弁護士

馬場東作

森田武男

被告

千葉県地方労働委員会

右代表者会長

新垣進

右指定代理人

一河秀洋

土田吉彦

海老原光韶

渡辺賢二

参加人

総評全国金属労働組合千葉地方本部オリエンタル支部

右代表者執行委員長

大池良三

右訴訟代理人弁護士

高橋勲

後藤裕造

藤野善夫

中丸素明

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が千労委昭和五二年(不)第三号不当労働行為救済申立事件について、昭和五六年二月二三日付でなした救済命令を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告の請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張(以下事実略)

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで本件命令の基礎となった事実関係につき検討する。

1  命令書第1の1の事実は、参加人所属の組合員数の点を除き当事者間に争いがない。

(証拠略)によれば、命令書第1の2(1)ないし(3)の事実が認められ、同第1の2(4)の事実は当事者間に争いがない。

2  命令書第1の3(1)の事実のうち当事者間に争いがある部分については、(証拠略)によってこれを認める。

(証拠略)には、命令書第1の3(1)カの事実について、昭和五一年五月上旬に上野課長が田中に対し「別の仕事を見つけてやる。」と言ったことも、田中が「仕事を下さい。」と言ったのに上野課長が返事をしなかったということも、同年七月中旬に上野課長が田中に「適当な仕事が見つからないので自分がやりたいことがあれば自主的に進めてよい。」と指示したことも、同年八月に田中に仕事の指示をしなかったこともいずれもない旨の記載部分があるが、(証拠略)に照らし信用し難い。

また(証拠略)には、命令書第1の3(1)キの事実について、上野課長が「三〇枚も不良が出たのではお客様に迷惑をかけるよ。」と言ったところ田中は「三〇放くらい機械じゃないのだからしょうがないでしょう」と言って開き直り反抗的な態度に出た旨の記載部分があるが、同時に、仕事に誠意がないと発言したことも認める記載部分もあるので、田中が反抗的であったというだけでは前記認定を左右するにはいたらない。

3  命令書第1の3(2)の事実のうち当事者間に争いがある部分については、(証拠略)によってこれを認める。

(証拠略)には、命令書第1の3(2)オの事実に関し、小川課長が「就業時間中に職場を放棄して仕事に熱心でなければ支障が出るのはあたりまえだ、信頼できない。反省して文書で誓約し、今後は職場離脱をしないというのであれば配転について再考する余地はある。これからも職場離脱をするのか。」と言ったところ、酒井が「じゃんじゃんやる。」と言ったので、小川課長は「それでは土浦だけではなく豊四季や高松にも迷惑をかけるので他の仕事を担当してもらうよりしかたがない。」と言ったとの記載部分があるが、右のやりとりは、職場を放棄しないとの誓約書を書けば配転を再考する余地がある旨の小川課長の発言に対し酒井が誓約書を書くことを拒絶したという点では前記の認定事実と変わらないので、右記載部分は前記認定を左右するものではない。

また(証拠略)には、命令書第1の3(2)カの事実に関し、バー材切断作業は素材の供給から始まって寸法測定・洗浄・箱詰め・刃具の交換・機械の保守点検等の作業があるので単純作業ではない旨の記載部分があるが、福島伸夫自身、(証拠略)でバー材切断機械は、自動機械なので自動的にあるセットした長さにバー材を切断していくことを認める供述をしているので、土浦、豊四季、高松の各事業所の刃具類の再生研磨を集中的に管理するという従前の酒井の仕事に較べて単純作業であることは明らかであって、(証拠略)の記載部分は前記認定を左右するものではない。

4  命令書第1の3(3)の事実のうち当事者間に争いがある部分については、(証拠略)によってこれを認める。

(証拠略)には、命令書第1の3(3)イの事実に関し、原告会社の組織上「リーダー」という地位はないし、課内でも「リーダー」という名称を設けたことはない旨の記載部分がある。しかし上野満自身、右陳述書において金子が〈1〉工具及び抜型台帳の整備並びに管理、〈2〉治工具管理品の発注及び管理〈3〉治工具管理品の補充及び追加〈4〉作業の改善改良〈5〉新設バイト研削盤の立合い、〈6〉製造技術課との打ち合せ、〈7〉作業日報の作成、〈8〉後輩に対する作業指導等の職務を行っていたことを認めており、これらの職務は単に間接業務というだけではなく他の課員に対し指導・助言を有すると考えられること、さらに(証拠略)によれば豊四季事業所治工具管理課(後に治工具課となる)は課長及び主任のいる部屋と工具室が分かれており工具室には管理職がいなかったことが認められるので、工具室に課長を補佐して管理職的役割をする者が必要であったと考えられることを考慮すれば、上野課長から工具室リーダーに指名された(証拠略)の記載部分は十分信用でき、(証拠略)の記載部分は信用し難い。

また(証拠略)には、命令書第1の3(3)カの事実に関し、治工具課の大多数の課員の推せんにより渡辺辰夫が同課の安全衛生委員になった旨の記載部分があるが、伊藤邦夫は、当時の豊四季事業所の次長であって安全衛生委員選出の報告を受けたに過ぎず、渡辺辰夫が選出された場所に居たわけではないので、(証拠略)等に照らし信用し難い。

(証拠略)には、命令書第1の3(3)クの事実に関し、岩井課長がトイレにまでついてきたということはない旨の記載部分があるが、これは伊藤邦夫が岩井課長から聞いたことを記載したに過ぎないから、(証拠略)の金子の証言調書等に照らし信用し難い。

(証拠略)には、関口課長が、金子に対し電話を取り次がなかった事情を説明し、あとは問題がなかった旨の記載部分があるが、これも伊藤邦夫が関口課長から聞いたものに過ぎず、金子と関口課長との間の具体的なやりとりを正確に記載しているかについては疑問の余地があるので、(証拠略)等金子の証言調書等の電話を取り次がなかったことに対して関口課長に抗議した旨の記載部分に照らし信用できない。

5  命令書第1の3(4)の事実のうち当事者間に争いがある部分については、(証拠略)によってこれを認める。

(証拠略)には、命令書第1の3(4)イの事実に関し、取引先から昭和五一年一月までにUL申請手続を終了するように要請されていた旨の記載部分があるが、(証拠略)によれば取引先から急ぐように要請されていたものの米国の申請先の都合で返事がなかなかこなかったことが認められるので、(証拠略)の記載部分は、米国の申請先に問い合せの手紙を出すと返事がくるまで二か月かかる業務であったとの前記認定を左右するものではない。

(証拠略)には、命令書第1の3(4)オの事実に関し、大池は昭和五一年一月二七日の欠勤の際、事前の連絡をしなかった旨の記載部分があるが、右証言調書及び陳述書からは「事前に連絡もなく」という記載が前日までに上司に連絡しなかったという意味なのか、それとも当日の朝にも連絡をしなかったという意味なのかは判然としないので右各記載部分のみでは、大池が高松事業所へ出発する朝東京駅から原告の他の従業員に欠勤の連絡をして中村課長に伝言を頼んだとの前記認定を左右するには足りない。

(証拠略)には、命令書第1の3(4)オの事実に関し、原告会社においては欠勤する場合は前日までに上司に報告するかあるいは緊急のときは当日の午前九時までに電話で連絡することになっていた旨の記載部分があるが、石川栄一は当日の朝に電話連絡する場合に必ず上司に直接連絡をとらなければならないとは供述していないから、右記載部分は、上司がいないときには他の課員に伝言を頼めばよいことになっていたとの前記認定を左右するものではない。

6  命令書第1の3(5)の事実のうち当事者間に争いがある部分については、(証拠略)によってこれを認める。

(証拠略)には、命令書第1の3(5)イの事実に関し、駐在員の職務は土浦事業所と本社製造技術課とのパイプ役となること及び新鋭機械を現場作業員に習熟させることが主な仕事であった旨の記載部分があるが、原告が和家に右のような役割を期待していたかどうかはともかくとして、当時の本社製造課長福島恵友が、和家を土浦事業所に派遣するにあたって右のような職務を行うようにとの説明をしたとの証拠はなく、かえって(証拠略)によれば和家は上司から駐在員としてどのような仕事をするかの具体的な指示はなかったことが認められるので、右記載部分は信用し難い。

(証拠略)には、命令書第1の3(5)カの事実に関し、昭和五〇年一〇月中には和家は絶縁紙挿入機の故障についてとりあえずの応急措置をほどこしただけで、部品調達ができるまでは現場で面倒を見ながら使用してもらった旨の記載部分があるが、(証拠略)によれば、昭和五〇年一〇月中に絶縁紙挿入機の故障が直って自動運転ができるようになったが、いろいろな枠の大きさに対し共有することができる治具を試験する必要があったのでその後も同機械の稼動試験を行っていたことが認められるので、右記載部分は信用できない。

(証拠略)には、命令書第1の3(5)クの事実に関し松谷課長は、切粉台車の塗装に色違いがあったので和家に注意したとの記載部分及びボブ研削盤の英文取扱い説明書を和家は一部翻訳したが後を完成しようとしなかった旨の記載部分があるが、(証拠略)に照し信用できない。

7  命令書第1の3(6)の事実のうち当事者間に争いがある部分については、(証拠略)によってこれを認める。

成立に争いのない(証拠略)には、命令書第1の3(6)アの事実に関し、大学のデザイン科出身の者についてデザイナーというように職種を限定して採用することはない旨の記載部分があるが、右記載部分は、久保が大学に来たデザイナー募集に応募した旨の前記認定を左右するものではない。

(証拠略)には、命令書第1の3(6)イの事実に関し、久保はデザイナーとしてのセンスが乏しく、製品知識に乏しく、自分の仕事に固執しすぎる旨の記載部分があるが、石川栄一、米山政司のいずれもがデザイン課における久保の直属の上司ではなく、右記載部分は、久保の直属の上司から久保に対する評価を聞いたというものに過ぎないので不正確であって信用できない。

(証拠略)には、命令書第1の3(6)エ及びオの事実に関し、上司が残業を命じても一切これを拒否していた旨の記載部分があるが、右記載部分は時期を特定していないので、昭和五一年に入ってからは残業をしていた旨の(証拠略)に照らし信用できない。

8  命令書第1の3(7)の事実のうち当事者間に争いがある部分については、(証拠略)によってこれを認める。

(証拠略)には、命令書第1の3(7)テの事実に関し、益戸部長、菅野谷幸雄オリエンタルサービス総務部長、土屋主任以外の男性社員は堀越昌章の講演に出席していない旨の記載部分があるが、(証拠略)の男性社員の吉川、笹本も出席した旨の石塚富吉の証言調書記載部分に照らし信用し難い。

9  命令書第1の3(8)の事実のうち当事者間に争いがある部分については、(証拠略)によってこれを認める。

(証拠略)には、命令書第1の3(8)イの事実に関し、里見博文をチーフとする四タイプ(〇二番、〇番、二〇番、四〇番)のサーボモーターの開発のうち〇番タイプを岡井の担当とした旨の記載部分があるが、これは里見博文とともにサーボモーターの開発を命じられた〇番タイプを担当したとの認定を左右するものではない。

(証拠略)には、命令書第1の3(8)ケの事実に関し、上司としての言動に何らやましいところはなかった旨の記載部分があるが、中村壽宏は同時に詳細なやりとりについては記憶にないと記載していることから見ても、右記載部分は、中村課長と岡島との具体的なやりとりについての前記認定を左右するものではない。

10  命令書第1の3(9)の事実のうち当事者間に争いがある部分については、(証拠略)によってこれを認める。

(証拠略)には、命令書第1の3(9)アの事実に関し、岡井は電磁ブレーキ付モーター等の開発において先輩課員の手伝いをした程度である旨の記載部分があるが、この記載部分は、岡井が先輩課員について電磁ブレーキ付モーター等の開発に従事したとの前記認定を左右するものではない。

11  命令書第1の3(10)の事実のうち当事者間に争いがある部分については、(証拠略)によってこれを認める。

(証拠略)には、命令書第1の3(10)カの事実に関し、フロッピー用ローター研削ドライブ装置の池田が設計した治具は、具合が悪く、作業現場においてだましだまし使用していたがついに待ち切れず、豊四季事業所第二課マネージャー中村勝己が中心となって現場で新しい治具を完成させた旨の記載部分があるが、(証拠略)によれば池田はフロッピー用ローター研削ドライブ装置の治具を右中村勝己らが完成させたとの話を聞いていないことが認められるので、中村勝己の供述等の裏付けの供述がなければ右記載部分は信用できない。

(証拠略)には、命令書第1の3(10)ケの事実に関し、松谷課長は昭和五一年五月のヨーロッパ出張の前にフロッピー用ローター研削ドライブ装置の不具合を報告書にまとめておくように池田に指示した旨の記載部分があるが、(証拠略)の昭和五一年八月に松谷課長から研削方法が途中二、三回変更になった経過をまとめておくように指示された旨の池田博明の証言調書記載部分に照らし信用し難い。

(証拠略)には、命令書第1の3(10)コの事実に関し、昭和五一年一一月二八日に松谷課長が池田を会議室に呼んでこのレポートはあまりに抽象的なので自分のやりたい仕事をもっと具体的に書くように指示した旨の記載部分があるが、(証拠略)に照らし信用し難い。

三  以上の事実を前提に、原告の参加人所属組合員に対する取扱いが不当労働行為にあたるか否かにつき検討する。

1  原告は、本件命令が原告会社の業績悪化について考慮していないことを非難しているので、参加人所属の各組合員の処遇につき個別的に検討する前にこの点につき判断する。

確かに(証拠略)によれば、(一)原告会社は、昭和四八年のオイルショック以降昭和四九年、同五〇年はそれぞれ売上高が前年度に較べてマイナスとなり、(二)昭和五一年には鶴岡事業所と関連会社の甲府営業所を一時閉鎖し、希望退職の募集を行い、(三)昭和五二年には売上高において同四八年の水準を超えることができたが、価格競争の激化、大手企業のモーター市場への参入等によって売上高の増加に応じて利益が増加しない状態が続いている、以上の事実が認められる。

しかしながらこれらの事情は、原告が土浦事業所第一課治工具専任担当者を廃したりデザイン課を廃止する理由とはなっても後記のとおり参加人所属組合員に対しことさら他の従業員と異なった処遇をする理由にはならないので、原告の主張は失当である。

2  田中について

(一)  田中が品質管理課において昭和五一年三月まで担当していた業務は、製品の修理、ボールベアリング寿命試験、環境試験室の管理であった。

これに対し昭和五一年四月以降の田中の担当業務は、(1)製品修理業務がオリエンタルサービスへ移管され、同年六月上旬まで引き継ぎ期間ということで製品修理業務を行ったがそれ以降は修理業務の担当から外れた、(2)ボールベアリングの寿命試験は中止させられた、(3)環境試験室の担当を解かれた、(4)同年四月ころ「資料の整理と管理」についてのレポートの提出を指示されて同年五月中旬に提出した、(5)同年六月中旬から九月までは週一回の職場打ち合せ記録の作成と自己の業務報告書作成(同年七月から)以外に仕事の指示がなかった、(6)同年九月初旬から一一月一九日までは製品取扱いのしおりの電話局番を六三局から四三局に訂正する作業をした、(7)同年一一月から昭和五二年三月までは仕事の指示がなかった、(8)同年三月三一日から七月まで「信頼性管理と理念の実践」という本を与えられて毎日読後感を提出させられた、(9)同年七月から昭和五三年七月までテーマを五、六点与えられてレポートの提出を指示された、以上のとおりである。

これら一連の業務変更のうち、(1)の製品修理業務のオリエンタルサービスへの移管については、(証拠略)によれば東京に社屋のあるオリエンタルサービスに業務を移管することによって取引先へのサービスを向上させる目的でなされたことが認められ、田中を昭和四一年のときのようにオリエンタルサービスへ出向(命令書第1の3(1)ア)させなかったとしてもこれは原告の人事権に属する問題なので、田中を製品修理業務から外したことは田中に対する差別的取扱いとはいえない。同じく(3)の環境試験の管理担当解任の点についても、(証拠略)によれば、田中は当時残業をしていなかったので就業時間外も使用されることがある環境試験室の管理担当には適さなかったため管理担当を解かれたことが認められるので、この点も差別的取扱いとはいえない。

しかしながら、(2)のボールベアリング寿命試験の中止については、(証拠略)には、ボールベアリングに使用するグリスの種類が変更になったので従前のグリスを使用しているボールベアリングの寿命試験の必要性がなくなったため中止した旨の記載部分があるものの、(証拠略)によれば田中は当時右のような中止の理由を上野課長から説明されていないことが認められるので右記載部分は信用できず、かえって(証拠略)によれば寿命試験は寿命が尽きるまで試験を続けなければ目的を達成できないことが認められるので、右試験の中止に合理的な理由はなく、試験の中止は田中に対する仕事の取り上げであって差別的な取扱いであると解する。

また(6)の製品取扱いのしおりの電話局番の訂正作業は、田中の従前の業務と較べると単純作業であることは明らかであり、当時品質管理課には田中を含めて課員が六名いたのに田中一人にだけ訂正作業を行わせた点及び命令書第1の3(1)キのとおり昭和五一年九月からの訂正済みのしおりが一一月になっても発送されずに残っていたことから見て訂正作業に緊急性があったとは考えられない点を考慮すれば、電話局番の訂正作業は田中に精神的苦痛を与える不利益取扱いであると解せられる。

さらに(4)、(9)のレポートの提出、(8)の読書感想文の提出はそれを田中に行わせる必要性があったかは疑問なので不利益取扱いと解せられ、田中に対して一定期間仕事を与えなかったことも同様に不利益取扱いである。

(二)  原告は、田中に「資料の整理と管理」等のレポートを提出させた点に関し、田中は品質管理課に所属していたものの実際に経験していたのは修理業務のみで品質管理課の他の業務は未経験だったので、他の業務についての適性を判断するため研究テーマを与える必要があった旨主張し、(証拠略)にはその旨の記載部分がある。

しかしながら原告が品質管理課の業務内容として挙げているものは、(1)生産工程の品質の安定をはかること、(2)社内教育(品質管理意識の普及)、(3)協力工場への指導、(4)クレーム処理、などであるところ、原告会社専務取締役の石川栄一も、(証拠略)において、製品修理業務はオリエンタルサービスを通じて送られてくる故障の製品に故障個所を突きとめ、原告において責任を負う故障か否かを判断し、修理担当者自身が修理するものと作業現場に依頼するものをより分け、修理費の見積りを出す等の業務であることを認めており、この業務は、まさしく前記(4)のクレーム処理にあたり、オリエンタルサービスと作業現場の間に立って修理の指示をするという間接業務的な側面を持っているので、田中が修理業務を担当していたからと言って品質管理課の他の業務を担当させる前に適性を判断する必要があったかは疑問である。さらに命令書第1の3(1)アのとおり田中は、昭和四六年四月にオリエンタルサービスから品質管理課に再配置転換されてから同四七年に製品修理業務が品質管理課に移管するまでの間、製品の不良と再発防止(前記(1)の生産工程の品質の安定をはかることに該当すると思われる)業務を担当していたのであるから、この点から考えても田中の適性を見るためにレポートの提出をさせた旨の原告の主張は理由がない。

(三)  原告は、田中が就業時間中に職場放棄をしたことは正当な組合活動とはいえず、田中に製品取扱いのしおりの訂正作業をさせたのも職場放棄をするので継続的な業務を任せられなかったからである旨主張する。

確かに労働者には、就業時間中は使用者の指揮命令に服し労務を提供するという雇用契約上の義務があるので、就業時間中の組合活動のための職場離脱は原則として右義務に違反することになる。しかしながら就業時間中の組合活動のための職場離脱であっても、労働協約、就業規則等によって認容されているかあるいは使用者の許可がある場合にはもちろん可能であるとともに、このような場合以外には絶対に許されないとはいえないのであって、当該組合活動が労働組合の団結権を確保するために必要不可欠であること、右組合活動をするに至った原因が専ら使用者側にあること、右組合活動によって会社業務に具体的な支障を生じないこと、以上の事情があるときには、就業時間中の組合活動であっても正当な組合活動として許容され、これを理由とする不利益処分は許されないと解する。

右前提に立って本件を検討するに(証拠略)によれば以下の事実が認められる。

(1) 原告は、参加人が結成された直後には参加人がストライキを実施した昭和五〇年七月からは参加人に対する態度を硬化させ、就業時間中の組合活動の範囲の件、組合事務所設置の件、人事異動に関する事前協議約款又は同意約款締結の件などを交渉事項とする団体交渉にいずれも誠意をもって応じなかった。

(2) 参加人は、原告が昭和五〇年四月二一日に従業員代表と締結した三六協定は無効であるとして、三六協定の代表者を選任したことがない旨の従業員の署名を集めて同年一〇月一六日に松戸労働基準監督署(以下「松戸労基署」という)に提出し、松戸労基署は、同年一一月七日に原告に対し三六協定の従業員代表が資格要件を欠くとして残業の中止を指示した。ところが原告は、参加人に組合員名簿の提出を求め、これが拒否されると同月一八日に従業員全員に参加人組合への加入の有無を調査する照会票を配布し、その結果参加人所属組合員は従業員の過半数に達していなかったとして、同年一二月四日に参加人に所属していない従業員代表と三六協定を締結した。

(3) 原告は、同年一二月二七日頃と昭和五一年二月一三日に社内食堂から参加人所有の備品を撤去した。

(4) 同年二月以降原告は、社内食堂での参加人の集会を妨害した。

(5) 原告は、参加人の組合規約又は組合員名簿が提出されないことを理由にして参加人との団体交渉を拒否した。

(6) 原告は、同年五月二六日と六月一〇日の二回にわたって豊四季事業所構内に掲揚されていた参加人の組合旗を撤去した。

(7) 同年三月一一日、総評全国金属労働組合千葉地方本部統一交渉団の入構を原告が拒否した。

(8) 原告の非常勤顧問の堀越昌章は、昭和五〇年一〇月二九日に行われた新入社員研修会において参加人を誹謗した。

(9) 原告は、参加人との昭和五〇年夏季一時金、同五一年賃上げ及び同年夏の一時金の各交渉中に従業員に対し受領書を配布して署名押印を求めた。

(10) 昭和五〇年八月下旬頃、オリエンタルサービス分会の組合員が近藤次長宅へ招待されて同人から「全国金属はアカだ、電気労連の組合の方がよいではないか」等と言われ、昭和五一年四月頃、参加人所属組合員桜井信雄が結婚式の仲人を一旦引き受けた川合武彦原告会社取締役から参加人から脱退しないと仲人を断ると言われた等の原告もしくはその職制による参加人所属組合員への脱会工作が行われた。

そして田中は、別紙命令書第1の3(1)ウのとおり昭和五〇年一〇月から一二月までの間に一三時間三九分、同五一年三月から七月までの間に一四時間四三分就業時間中の組合活動によって賃金カットされているが、(証拠略)によれば、これらの職場離脱は、いずれも田中が参加人豊四季分会の執行委員として原告の右(1)ないし(10)の行為に対する抗議行動や対策協議のために行ったことが認められ、このような組合活動は参加人の組合運営に不可欠であるとともに、田中が就業時間中に組合活動をせざるを得なかったのも原告の右(1)ないし(10)の行為がその原因となっていると考えられる。そして田中が右の就業時間中の組合活動を行ったことによって原告の業務に具体的な支障が生じたということはないのであるから、田中の右組合活動は正当であると解される。

(四)  前項(1)ないし(10)の原告の参加人に対する態度及び命令書第1の3(1)オのとおり田中が回覧文書や改良委員会の課内打ち合せから排除されたことから考えて、田中に対する前記(一)記載の処遇は、原告が田中の正当な組合活動を嫌悪してなした不利益取扱いであるとともに他の組合員に対しみせしめとすることによって参加人の弱体化を狙った支配介入であり、労働組合法(以下「法」という)七条一号及び三号に該当する不当労働行為である。

なお田中が昭和五一年三月にボールベアリングの寿命試験を中止させられてから本件不当労働行為救済申立(昭和五二年六月二九日)までに一年以上経過しているが、原告の田中に対する不利益取扱いの意思はその後も続き、昭和五〇年九月には製品取扱いのしおりの電話局番の訂正作業を命じ、また一定期間仕事の指示を全くしないなどの処遇が行われており、原告の不利益取扱いの意思は一貫して続いているのであるから、原告の右行為は法二七条二項の継続する行為に該当する。

3  酒井について

(一)  酒井が昭和五一年三月二二日まで土浦事業所第一課において担当していた業務は、同事業所及び豊四季・高松両事業所で使用する刃具類の再生研磨を集中的に管理するものであった。

これに対して酒井の同年三月二三日からの担当業務は、(1)同年三月二三日から四月末までバー材切断作業、(2)同年五月初旬には約一〇日間ギヤシャフトのキー溝バリ取り作業、(3)同年五月中旬からはスパーギヤブランク加工機の稼動作業、(4)昭和五二年五月頃から円筒研削盤の担当、(5)同年一〇月に転造作業(軸にすべり止めのギザギザを付ける作業)であった。

右の昭和五一年三月二三日以後の業務のうち、(1)のバー材切断作業と(2)のギヤシャフトのキー溝バリ取り作業は、命令書第1の3(2)カ、クに記載のとおりの単純作業である。また(3)、(4)、(5)の業務も部品加工の機械を稼動させるというものであるところ、(証拠略)によれば酒井が行っていた治工具の再生研磨の集中管理は、各作業現場への刃具類の貸し出しという間接業務的側面を有し、また磨耗した刃具類の再生研磨も実作業ではあってもひとつひとつタイプの異なる刃具の研磨であって、再生させるものと廃棄するものとを区別する判断も必要であることが認められ、このような経験と技能を要する複雑な仕事に較べれば自動機械を稼動させるのみの(3)、(4)、(5)の業務は単純な作業であると解される。

従って治工具管理の仕事から酒井を外し、右(1)ないし(5)の業務を担当させたことは格下げ的業務変更であり不利益取扱いにあたる。

(二)  これに対し原告は、キー溝バリ取り作業は生産量が増えたため一時的に酒井に行わせたと主張し、(証拠略)にはその旨の記載部分があるが、右記載部分はいずれも具体的な生産量を示しての供述ではないからこれのみでは一人の従業員を専従で作業させなければならなかったほどバリ取り作業がたまっていたとはいえず、原告の主張は理由がない。また酒井一人にバリ取り作業をさせた点に関し、(証拠略)には、昭和五二年三月からは石島課員も専従でキー溝バリ取り作業をしたのであるからこの業務はみせしめ的なものではない旨の記載部分があるが、(証拠略)によれば石島課員は総評全国金属労働組合茨城地方本部オリエンタル土浦分会(以下「土浦分会」という)の執行委員であったことが認められるから、右記載部分は酒井が参加人所属組合員以外の者に較べて差別的な取扱いを受けているとの前記認定を左右するものではない。

また原告は、間接部門はできるだけ削減するという原告会社の方針に基づいて昭和五二年三月頃から治工具の集中管理方式を廃止したのであるから酒井に治工具管理を担当させなかったとしても差別的な取扱いにはならない旨主張するが、右の治工具担当者の廃止は、昭和五一年三月から同五二年三月までの間酒井に治工具の仕事をさせなかったことの理由にはならないので原告の主張は失当である。また命令書第1の3(2)ケのとおり昭和五二年五月から一〇月までの間に土浦事業所において勤務形態の変更があり、担当業務の変更は酒井一人ではなかったが、この点も酒井に治工具の仕事をさせなかった理由にはならない。

(三)  原告は、酒井が就業時間中に職場離脱をして担当業務に支障を生じさせたので酒井を治工具の担当から外し、バー材切断作業等を命じた旨主張する。

確かに酒井は、命令書第1の3(2)ウのとおり昭和五〇年一〇月から一二月までの間に一七時間三四分(ストライキを除く)、同五一年一月から三月までの間に四〇時間就業時間中の組合活動によって賃金カットされている。

しかしこの間原告は、参加人との関係で前記三2(三)(1)ないし(10)の行為を行う一方、(証拠略)によれば、土浦分会からの昭和五〇年一〇月九日付の土浦事業所における団体交渉の申し入れ及び同五一年二月の土浦分会の事務所設置に関する団体交渉の申入れに対し、要求及び団体交渉は参加人を通じて行うべきであるとして土浦分会との団体交渉をいずれも拒否したことが認められ、また土浦事業所長においても、土浦分会からの同様の事項についての団体交渉の申入れに対し事業所長には交渉権限がないとして団体交渉を拒否したことが認められる。そして(証拠略)によれば、酒井の就業時間中の職場離脱は、いずれも酒井が土浦分会の執行委員長として原告及び土浦事業所長による団体交渉拒否等に対する抗議行動や対策協議のためであったことが認められ、この酒井の組合活動は土浦分会及び参加人の組合運営に不可欠であるとともに、酒井が就業時間中に組合活動をせざるを得なかったのも原告及び土浦事業所長の行為にその原因があると考えられる。

さらに命令書第1の3(2)エのとおり酒井は就業時間中に組合活動を行うに際して同僚の女子従業員にその旨を事前に伝えて治工具についての作業現場の要求に対応できるように指示していたのであるから、右組合活動によって酒井の担当業務に具体的な支障が生じたとは考えられず、よって酒井の組合活動は正当であると解される。

これに対して(証拠略)には、(ア)高松事業所へ送る工具(三個)の研磨が酒井の職場離脱が重なったことを原因として所定の期日までに送付できないおそれが生じたため、海老原マネージャーと佐藤指導員が代って再生研磨を行いやっと定期便に間に合せた、(イ)ベヘラー社の自動旋盤のバイト、半月リーマの再研磨は時間が限られた研磨依頼が多かったが、酒井が職場にいないのでやむを得ず上司らが代行して研磨せざるを得ないという事態がしばしば起こったとの記載部分がある。しかし(ア)の点については(証拠略)によれば酒井はこのような事実があったことを小川課長、海老原マネージャー、佐藤指導員のいずれからも聞いていないことが認められるので、小川光司の右陳述書の記載部分のみではこの事実を認めることはできず、また(イ)の点についても(証拠略)によれば酒井はこのような事実を聞いていないことが認められ、かつ小川光司の陳述書の記載自体代行研磨の主体、その回数が不明なものなので右記載部分のみではこの事実を認めることはできない。また(証拠略)の福島伸夫の証言調書には右(ア)、(イ)のとおりの業務の支障例があったということを海老原マネージャー及び佐藤指導員から聞いた旨の記載部分があるがいずれも伝聞に過ぎず信用できない。

(四)  前記三2(三)(1)ないし(10)の原告の行為、原告及び土浦事業所長による土浦分会との団体交渉の拒否、命令書第1の3(2)オ、カ、サの小川課長及び佐藤指導員の言動から考えて、酒井に対する前記(一)記載の処遇は、原告が酒井の正当な組合活動を嫌悪してなした不利益取扱いであるとともに他の組合員に対しみせしめとすることによって参加人の弱体化を狙った支配介入であり、法七条一号及び三号に該当する不当労働行為である。

なお酒井が昭和五一年三月二二日に治工具の再生研磨の集中管理の仕事を取り上げられてから本件不当労働行為救済申立(昭和五二年六月二九日)までに一年以上経過しているが、昭和五二年一〇月当時も単純作業を命じられただけで治工具の仕事をさせておらず、原告の不利益取扱いの意思は一貫して続いているのであるから、原告の右行為は法二七条二項の継続する行為に該当する。

4  金子について

(一)  金子は、昭和五一年三月までは、豊四季事業所治工具課において工具室リーダーとして専ら間接業務を担当しており、また昭和四八、四九、五〇年度の安全衛生委員会の職場代表であった。

これに対して昭和五一年四月以降の金子の担当業務は、(1)工具室リーダーとしての業務を解かれ、同月からドリル研削及び工具の納入時検査を命じられた、(2)同年八月からバイト再研削とメイル便(各事業所間を往復する部品、製品の運送機能)発送業務を担当した、(3)昭和五二年八月から抜型保守作業を担当した、(4)昭和五一年三月の安全衛生委員の職場代表には岩井課長の推せんした渡辺辰夫が職場の課員の討議を経ないで選ばれ、金子は選ばれなかった、以上のとおりである。

金子の工具室リーダーとしての業務は、命令書第1の3(3)イのとおり間接的業務を担当して課長及び主任の補佐をし、実作業は休みの者の補充として行う程度でほとんど行わないというものであったのに対し、右(1)、(2)、(3)の作業はいずれも実作業もしくは単純作業であるから、右の業務変更は、格下げであり不利益取扱いと解される。

また(4)の治工具課における安全委員の選出の点も、昭和五一年の委員の選出につき岩井課長が従前と異なり委員の推せんをしたことは、金子を安全衛生委員から排除することによって金子に精神的打撃を与えるためにあったと考えられるので不利益取扱いと解される。

(二)  原告は、金子が就業時間中に職場離脱をしたことは正当な組合活動とはいえず、金子の担当業務を変更させたのも職場離脱によって業務に支障が生じたからである旨主張する。

金子は、命令書第1の3(3)オ、キのとおり昭和五〇年九月から一二月までの間に、四二時間四六分就業時間中の組合活動によって賃金カットを受けさらにその他に不就労時間が四〇時間五五分あり、昭和五一年一月から三月までの間に、二五時間四〇分就業時間中の組合活動によって賃金カットを受けさらにその他に不就労時間が三〇分あった。このように金子の就業時間中の組合活動はかなりの時間数になるが、右昭和五〇年九月から昭和五一年三月までの間は、原告が参加人に対し前記三2(三)(1)ないし(10)のとおり団体交渉拒否や脱会工作等を行い、昭和五〇年七月頃には約六二〇名であった参加人の組合員数が、同年一〇月には五六六名、同年一一月一八日には全従業員の過半数を割り、同年一二月には一〇〇名以下になる(〈証拠略〉によりこれを認める)というように急激な減少を続けた時期にあたる。そして(証拠略)によれば、金子の就業時間中の組合活動はいずれも原告による前記三2(三)(1)ないし(10)の行為に対する抗議行動、対策協議のためであったことが認められるところ、参加人の書記長である金子がこれらの組合活動をすることは、右のような原告による参加人の組織に対する切り崩しの時期においては参加人の団結権を確保するうえで必要不可欠であり、また金子が就業時間中に組合活動をせざるを得なかったのも原告の行為にその原因があると考えられる。

さらに金子の就業時間中の組合活動によって原告の業務に具体的な支障が生じたとは考えられないのであるから、金子の組合活動は正当であると解される。

これに対して(証拠略)には、金子の業務は治工具を他の職場に貸出しをすることなのだから治工具課としては金子がそこにいないとどうしようもないとの記載部分があるが、これは抽象的に金子が職場離れをすると困ると供述しているのみで金子がいなかったことによって具体的な仕事上の支障があったとの証拠にならない。また(証拠略)には、金子が仕事の途中でも突然職場離脱をするので業務計画を立てられず業務指示に苦慮したと聞いている旨の記載部分があるが、これも同様に具体的な仕事の支障があったことの証拠にはならない。

(三)  原告の前記三2(三)(1)ないし(10)の行為、命令書第1の3(3)クのとおりの岩井課長による金子へのいやがらせ的言動及び日常的監視、命令書第1の3(3)コの金子にかかってきた電話の取り次ぎに関して関口課長のとった態度から考えれば、原告の金子に対する(一)の(1)ないし(4)の処遇は金子の正当な組合活動を嫌悪してなした不利益取扱いであるとともに、他の組合員に対してみせしめとすることによって参加人の弱体化を狙った支配介入であり、法七条一号及び三号に該当する不当労働行為であると解される。

5  大池について

(一)  大池が本社開発部(その後技術部開発課となる)において昭和五一年二月まで担当していた業務は、ヒシテリシスクラッチの製品化業務、特許事務所との連絡業務及びUL規格取得申請業務であった。

これに対して大池の同年三月以降の担当業務は、(1)同年三月UL申請業務から外されて、UL規格の和訳を命じられた、(2)同年五月大池が実験室で行っていた業務から外された、(3)同年五月に特許実用新案の細分類目録の作成を命じられた、(4)同年五月頃から一一月頃まではUL規格の和訳を行った、(5)同年一一月から昭和五二年三月まではオーストラリア、カナダ、ヨーロッパの規格についての和訳や調査、(6)同年三月二〇日から九月まで英語の原書「リ・エレクトリック・ブレークダウン・オブソリッズ(固体の絶縁破壊)」の和訳を行った、(7)同年八月の人事異動と組織変更によって本社技術部開発課の課員が大池と岡島のみとなり、開発課の机は入口近くの空席に囲まれた位置に配置され、開発課には技術部の他の課との打ち合せや各種委員の選出もなかった、(8)同年九月から一一月下旬まで実用新案公報の開架式ファイルの作成、公報調査、米国技術文献の和訳を行った、(9)同年一一月下旬から昭和五三年二月上旬まで米国特許の和訳を行った、(10)同年二月から昭和五四年まで日本の特許、実用新案の要約作成を担当した、以上のとおりである。

このうち(3)の目録の作成は、命令書第1の3(4)ケのとおり月別の細分類目次をカッターで各細分類毎に切りとり他の紙に貼って整理し直す作業であるから、大池の従前の業務に較べ単純作業であるのは明らかで、右の業務変更は格下げであり不利益取扱いにあたる。

(4)、(5)、(6)、(8)、(9)のUL規格、米国技術文献、米国特許等の和訳については、確かに技術開発を担当する従業員に技術情報を収集のためこれらの和訳を命ずることは不自然ではないが、UL規格申請業務や実験室で行う開発業務から大池を外し、このように長期間にわたって和訳のみを命ずるということは、それ以前に原告会社において和訳のみをさせられた者はないことを考えると、大池に対する差別であり不利益取扱いであると解される。特に(6)の「リ・エレクトリック・ブレークダウン・オブソリッズ(固体の絶縁破壊)」は、中村課長が学生時代に購入した一九五一年(昭和二六年発行)の文献であって、技術の進歩の著しい今日においてこの本を和訳することが原告会社の業務に必要であったかには疑問があり、さらに第1の3(4)コのとおり大池の訳文が原告の社内で利用された形跡がないことから考えても、この原書の和訳は、必要のない英文を和訳させることにより大池に精神的苦痛を与える不利益取扱いである。

(7)の組織変更と人事異動については、それまでの本社技術部開発課の課員のうち参加人所属組合員の大池と岡島を除く残りの者を全員異動させるというものであるから、そのこと自体不自然であるのみならず、開発課には技術部の他の課との合同の打ち合せや各委員会の委員の選出の連絡もなかったことから考えて、右組織変更は大池、岡島を他の従業員から隔離する不利益取扱いであると解される。これに対して(証拠略)には、本社研究部の場合は部員から希望がありまた他の関連部署との連絡の必要性から技術部第一課との合同の打ち合せをしていたが、大池からは希望も出されずその必要性もなかったので合同の打ち合せを行わなかった旨の記載部分がある。しかし岩佐部長自身右陳述書で開発課には打ち合せの必要性がないと述べているように大池が希望しても他の課との合同の打ち合せが行われたかは疑問であるし、開発課の仕事には他の部署との連絡の必要性がまったくないということも考えにくいので、右記載部分は開発課にのみ他の課との打ち合せがなかったことは大池らを隔離するためであるとの前記認定を左右するものではない。また(証拠略)には、各委員会からのお知らせは回覧して衆知徹底をはかっている旨の記載部分があるが、(証拠略)によれば、大池のところに回ってくる回覧では各委員会の委員選出はまったくわからなかったことが認められるので右記載部分は信用し難い。

(二)  原告は、大池が就業時間中に職場離脱したことは正当な組合活動とはいえず、大池をUL申請業務から外して和訳等の業務に変更したのも職場離脱によってUL申請業務に支障が生じたからである旨主張する。

大池は、命令書第1の3(4)エ、オ、キのとおり昭和五〇年九月から一二月までの間に、就業時間中の組合活動によって七七時間五四分賃金カットされその他に六三時間二〇分の不就労時間があり、昭和五一年一月二七日から三日間高松事業所へのオルグのため欠勤し、その他に同年一月から三月までの間に就業時間中の組合活動により五〇時間三五分賃金カットを受けた。このように大池の就業時間中の組合活動はかなりの時間数になるが、右昭和五〇年九月から昭和五一年三月までの間は、原告が参加人に対し前記三2(三)(1)ないし(10)のとおり団交拒否や脱会工作を行い、これによって参加人の組合員数が急激に減少していた時期にあたる。そして(証拠略)によれば、大池の就業時間中の組合活動は、団交拒否に対する抗議行動、労働委員会への申立準備とその手続、従業員への照会票配布や組合備品の撤去に対する抗議行動と対策協議、三六協定についての労働基準監督署との交渉、原告の団交拒否や参加人所属組合員に対する脱会工作によって動揺する組合員への説得活動等のためであったことが認められるところ、参加人の執行委員長である大池がこれらの組合活動をすることは、原告による参加人の組織に対する切り崩しの時期においては参加人の団結権を確保するうえで必要不可欠であり、また金子が就業時間中に組合活動をせざるを得なかったのも原告の行為にその原因があったものと考えられる。

そして原告は、得意先から昭和五一年一月までにUL規格を取得するよう強く要請されていたのに大池が三日間無断で欠勤したためUL申請業務に支障があった旨主張するが、命令書第1の3(4)オのとおり大池は高松事業所への出発の朝電話で欠勤の連絡をしているから無断欠勤とはいえないし、命令書第1の3(4)イのとおりUL規格申請業務は一度手紙を出すと返事がくるまで二か月位かかる性格の業務であるから、大池が高松事業所にオルグに行くため三日間欠勤したことによってUL申請業務に具体的な支障が生じたとはいえない。(証拠略)には、申請業務の詰めの段階で大池が欠勤したので結局他の者があと始末した旨の記載部分があるが、これは、三日間の欠勤のうちに大池がいないことによってUL申請業務のどの手続に支障があったかを証するものではないので、三日間の欠勤によってUL申請業務に支障が生じたことはないとの認定を左右するものではない。そして大池のその他の就業時間中の組合活動によって原告の業務に具体的な支障が生じたとは認められないので、大池の組合活動は正当であると解される。

(三)  原告の前記三2(三)(1)ないし(10)の行為から考えれば、原告が大池に対して(一)の(1)ないし(10)のとおりUL申請業務等から外して和訳などを命じまた他の従業員から隔離したことは、大池の正当な組合活動を嫌悪してなした不利益取扱いであるとともに、他の組合員に対してみせしめとすることによって参加人の弱体化を狙った支配介入であり、法七条一号及び三号に該当する不当労働行為であると解される。

なお大池が昭和五一年三月にUL規格申請業務から外されてから本件不当労働行為救済申立(昭和五二年六月二九日)までに一年以上経過しているが、原告は、昭和五二年六月以降においても大池に和訳などを命じており、原告の大池に対する差別意思は一貫して続いているのであるから、原告の右行為は法二七条二項の継続する行為に該当する。

6  和家について

(一)  和家が本社製造技術課において昭和五一年八月一七日まで担当していた業務は、設備の不具合経歴のまとめと土浦事業所駐在員時代の残務整理である塗装装置のマスキングシートの再生方法の改良、高周波焼入機用オートローダーの運転状況のまとめ等であった。

これに対し同年八月一八日以降の和家の担当業務は、(1)同日それまで担当していた業務から外され、同年九月二八日まで上司から仕事の指示がまったくなかった、(2)同月二九日「製造技術課は何をすべきか自分は何をしたいか」についてのレポート提出を命じられ同月三〇日に提出し、もう少し具体的に書くように指示されて同年一〇月一五日に設備の保守をやりたいというレポートを提出した、(3)同年一〇月二二日から昭和五一年三月二二日までは「設備保全システム」という本を参考に原告会社に合った機械保守の作業マニュアルを考えるレポートを数回提出した、(4)同年三月から一一月一一日までは研削盤の最適加工条件についてのレポートの作成、(5)同月一五日から二二日まではダイオードの選別作業、(6)同月二二日から同年一二月八日までダイオード選別機についてレポート作成、(7)同年一二月二一日にコンデンサー取付台の試作を指示される、(8)昭和五三年一月一九日から同月二七日までボルト・ナットの組み合わさった袋にワッシャーを入れる作業をした、以上のとおりである。

これら一連の業務のうち(1)については、和家の担当業務を合理的な理由なく取り上げて四〇日間仕事の指示をしなかったものであるから不利益取扱いと解される。(2)、(3)、(4)のレポートの提出については、これを和家に行わせる必要性があったとは考えられないし、松谷課長が、(3)の機械保守のレポートの提出を命じた際にも豊四季事業所の機械の点検整備の予定を和家に説明せず、提出されたレポートについても「まだよく見ていない」「もう少し待ってくれ」といった態度をとったこと(命令書第1の3(5)シ)、(4)の研削盤の最適加工条件のレポートのときも和家が聞きに行かないと評価や次の指示をしなかったこと(命令書第1の3(5)ス)を考えれば、原告が和家にレポートを提出させることによって教育指導する意思が真にあったかについても疑問があるので、原告が和家から仕事を取り上げてこれらのレポートの提出のみをさせたことは、和家に精神的苦痛を与える不利益取扱いであると解される。また(6)については、(証拠略)によれば、ダイオードの選別作業は、ダイオードのリード線を測定器にはさんで電圧を測り選別をするという作業であることが認められ、これは和家の従前の担当業務に較べると単純作業であって不利益取扱いであると解される。ダイオードの選別機についてのレポートも、(証拠略)によれば、原告における当時のダイオードの使用量は一か月に四〇〇〇個位にすぎないので全自動の選別機械を作れば一日で作業が終了してしまうため機械を作ってもメリットがないことが認められること及び和家が提出したレポートの評価を聞きに行っても米山次長が「まだ見ていない」という態度をとったこと(命令書第1の3(5)セ)を考えれば、原告がダイオードの選別機を制作する必要があってレポートの提出を命じたかは疑問があるので、これも同じく不利益取扱いであると解される。(7)のコンデンサー取付台の試作も(証拠略)によれば、アルミ板をのこぎりで切ったり折り曲げたりして加工するという作業であることが認められるので、和家の従前の業務に比較すれば単純作業であると解される。(8)のボルト・ナットの組み合わさった袋にワッシャーを入れる作業は、和家の従前の業務に較べて単純作業なのは明らかである。よって(7)、(8)の業務についても格下げであり不利益取扱いであると解される。

(二)  原告は、和家の土浦事業所駐在員のときの仕事が原告の期待に反するものであり、本社製造技術課に戻ってからも土浦事業所駐在員時代の残務の処理が遅れ、設備の不具合経歴のまとめもなかなか提出しなかったので、和家には技術者としての資質に欠ける面があると判断し、本人の自覚をうながすために担当業務を中断してレポートの提出を命じた旨主張し、その旨の(証拠略)の記載部分がある。

しかし土浦事業所駐在員時代の和家の仕事については、前記二6のとおり、和家は職務の具体的な指示を上司から受けておらず、また命令書第1の3(5)エのとおり和家が土浦事業所から本社に戻る際に上司から和家の駐在員としての仕事が期待はずれであったと言われていないことから考えても、和家が駐在員としての職務を十分に責さなかったとはいえず、このことを理由に和家に対する前記(一)の業務変更を正当化することはできない。海老原マネージャーが和家を通さずに本社製造技術課に直接依頼したことも(命令書第1の3(5)イ)、和家が海老原マネージャーに機械の取扱い方を教えてくれるよう要請したのに断わられたという事情を考えれば、右事実によって和家が駐在員としての職務を責していなかったと判断することはできない。

また土浦事業所駐在員時代の残務処理のうち何点かが昭和五一年八月の段階で処理されていなかったことは確かであるが、(証拠略)によれば、右残務処理の中には設計業務が四、五件あり、設計業務は技術的な問題点を考慮しながら行うと時間がかかる場合があること及び英文の取扱い説明書の和訳もページ数が一〇〇ページ位あり時間がかかることが認められ、命令書第1の3(5)オのとおりこれらの仕事に加えて絶縁紙挿入機の修理と設備の不具合経歴のまとめの仕事が加えられたのであるから、昭和五一年八月の時点で未処理の案件が残っていたとしても、和家の技術者としての能力が極端に劣っているとはいえないと考える。

設備の不具合経歴のまとめについても昭和五一年八月の時点で処理が終わっていなかったが、命令書第1の3(5)ケのとおり和家はこの仕事について「他の仕事の合間にやればいいし、期限は定めない」と言われていたのであり、しかも中間報告は提出していたのであるから、この業務が未処理であったことも前記(一)の業務変更の理由にはならない。

(三)  原告は、和家が就業時間中に職場離脱をしたことは正当な組合活動とはいえず、これによって担当業務の処理が遅れるという支障が生じたので前記(一)の業務変更をした旨主張する。

和家は、命令書第1の3(5)キのとおり昭和五〇年一〇月から一二月までの間に三六時間三六分、同五一年一月から五月までの間に六〇時間三四分(ストライキを除く)それぞれ就業時間中の組合活動によって賃金カットを受けている。このように和家の就業時間中の組合活動はかなりの時間数になるが、右の昭和五〇年一〇月から昭和五一年五月までの間は、原告が参加人に対し前記三2(三)(1)ないし(10)のとおり団交拒否や脱会工作を行い、これにより参加人の組合員数が急激に減少していた時期にあたる。そして(証拠略)によれば、和家の就業時間中の組合活動は、団交拒否に対する抗議行動と対策協議、地方労働委員会への申立準備、土浦分会に対する団交拒否への対策協議、組合旗撤去に対する抗議行動等のためであったことが認められるところ、参加人の執行副委員長である和家がこれらの組合活動をすることは、原告による参加人の組織への切り崩しの時期においては参加人の団結権を確保するうえで必要不可欠であり、また和家が就業時間中に組合活動をせざるを得なかったのも原告の行為にその原因があったものと考えられる。

そして原告は、土浦事業所駐在員時代の残務処理が昭和五一年八月になっても終了せず、また設備の不具合経歴のまとめが終了しなかったのは就業時間中の組合活動が原因であると主張するが、前記(二)のとおり和家が与えられていたテーマは時間がかかるものが多かったので、上司が定めた期限内に仕事が処理できなかったからといって直ちに原告の業務に支障が生じたとはいえず、同じ製造技術課の課員が和家と同じ程度のテーマを与えられてそれを和家より短かい期間で完成させたことを示す的確な証拠がない以上、原告の業務に具体的な支障があったとは考えられない。

従って和家の就業時間中の組合活動は正当であると解される。

(四)  原告の前記三2(三)(1)ないし(10)の行為、命令書第1の3(5)キの松谷課長の言動から考えて、和家に対する前記(一)記載の処遇は、原告が和家の正当な組合活動を嫌悪してなした不利益取扱いであるとともに他の組合員に対しみせしめとすることによって参加人の弱体化を狙った支配介入であり、法七条一号及び三号に該当する不当労働行為であると解する。

7  久保について

(一)  久保は、昭和五一年八月まで本社デザイン課において原告のユーザー向け技術誌「レンガ」と製品カタログの編集関係のデザインを担当していた。

これに対して久保の同年八月以降の担当業務は、(1)同年八月頃から「レンガ」編集についての仕事の指示がなくなり、同年一〇月頃からはデザイナーとして行っていた仕事の指示がなくなり、時々二、三時間で終るカタログの仕事が回ってくるだけになった、(2)同年一一月中及び(3)の宛名貼りの終了後昭和五二年一月までの間田中が行っていて途中で中止させられた製品取扱いのしおりの電話局番の訂正作業を行った、(3)昭和五一年一二月に「レンガ」の発送用封筒にシール状の宛名を六〇〇〇枚貼る作業を行った、(4)昭和五二年四月から五月まで米山次長から与えられた「デシジョンメーキング(統計的意思決定)」という本の感想文を書き提出した、(5)同年八月頃から同年一二月頃までアメリカの工業技術者向け雑誌の小型モーターの広告の和訳とその広告についての感想文を書き提出した、(6)昭和五二年一二月以降(3)と同様の「レンガ」の宛名貼りを三か月に一回行うようになった。

久保は、命令書第1の3(6)アのとおり大学の芸術学部デザイン科出身であること、原告への入社に際しては大学にきたデザイナー募集に応募したもので入社試験には広告作成の実技試験があったこと、昭和四五年四月に入社して一か月の現場実習を終了した後は一貫してデザイン課においてデザイン業務を担当していたこと、命令書第1の3(6)イのとおり小型モーターの製造会社である原告にあって広告・宣伝のデザインを担当するデザイン課の業務は製造部門等の業務に較べて特殊性があること、久保はこのようなデザイン業務を問題なく処理していたこと、以上の事実を考えれば、原告は久保をデザイン業務担当の適格者として就労させていたと解するのが相当であり、その久保から(1)のとおりデザイナーとしての仕事を取り上げ、(2)の電話局番の訂正作業や(3)、(6)の「レンガ」の宛名貼り、(4)、(5)の感想文や和訳の提出をさせたことは、久保に対し精神的苦痛を与える不利益取扱いであると解される。

これに対し原告は、原告会社においてデザイナーという職種を限定した採用はないと主張し、その旨の(証拠略)がある。確かに久保と原告との雇用契約締結に際し職種をデザイナーに限定する特約があったことを示す直接の証拠はないから、広告宣伝業務を外注化してデザイン課そのものを廃止するという合理的な理由がある場合に、久保を配置転換したとしても、これを指して差別的取扱いであるとはいえない。しかしながら原告が広告・宣伝の外注化を行い始めたのは昭和五三年四月頃からであるのに対し、久保がデザイナーの仕事を取り上げられたのは昭和五二年八月からであり、またデザイン課の中で久保のみに電話局番の訂正や感想文等の提出をさせ、従前はデザイン課全員で行っていた「レンガ」の宛名貼りを久保一人にさせる合理的な理由はないのであるから、原告会社においてデザイナーの職種に限定しての採用はないとしても、このことによって(1)ないし(6)の業務変更が久保に対する不利益取扱いであるとの認定は左右されない。

(二)  原告は、久保が終業時間中に職場離脱したことは正当な組合活動とはいえず、久保をデザイン業務から外したのも職場離脱により計画的、組織的な仕事は任せることができなかったからである旨主張する。

久保は、命令書第1の3(6)ウのとおり昭和五〇年九月から昭和五一年六月までの間に、就業時間中の組合活動によって延べ一四五時間三三分の賃金カットを受けその他に五五時間五分の不就労時間があった。このように久保の就業時間中の組合活動はかなりの時間数になるが、右昭和五〇年九月から昭和五一年六月までの間は、原告が参加人に対し前記三2(三)(1)ないし(10)のとおり団交拒否や脱会工作を行い、これによって参加人の組合員数が急激に減少していた時期にあたる。そして(証拠略)によれば、久保の就業時間中の組合活動は、参加人に対する団交拒否に対する抗議行動と対策協議、地方労働委員会への団交斡旋の申請手続や審問手続、土浦分会に対する抗議行動、三六協定についての労働基準監督署との交渉等のためであったことが認められるところ、参加人の副執行委員長であった久保がこれらの組合活動をすることは、原告による参加人の組織に対する切り崩しの時期においては参加人の団結権を確保するうえで必要不可欠であり、また久保が就業時間中に組合活動をせざるを得なかったのも原告の行為にその原因があったものと考えられる。

そして確かにデザイン課の業務は、仕事の納期が厳格でコピーライター、カメラマン等との共同作業であってまた製品展示会前等時期的に仕事が集中するという特殊性を有するが、命令書第1の3(6)オのとおり久保は、製品展示会前の昭和五一年春頃担当業務に合わせて自主的な早出残業を行い同人の業務を納期に間に合わせていたのであるから、久保の職場離脱によって原告の業務に具体的な支障が生じたとは考えられず、久保の就業時間中の組合活動は正当であると解される。

これに対して原告は、久保が職場離脱をするので他のデザイン課員が久保の業務をカバーして業務の支障を防いだと主張し、(証拠略)にはその旨の記載部分がある。しかしこの記載部分は、抽象的に久保の仕事を他の課員がカバーしたというものに過ぎず、右陳述書における唯一の具体例である、昭和五〇年八月と昭和五一年二月の出張の際久保のかわりに染野課員がカメラマンの助手として同行した件についても、(証拠略)によれば参加人が結成される前でも久保がカメラマンに同行できない場合には他の者が同行していたことが認められるので、右の点は他の課員が久保の業務をカバーしていたとの証拠にはならず、抽象的な前記記載のみでは、久保が早出残業をして自己の業務に支障を生じさせなかったとの認定は左右されない。また原告は、久保は参加人結成前には一か月に四〇時間を超える残業を行っていたが参加人結成後は職場離脱を多いときで一か月に四〇時間位行ったので、算術的に一か月に八〇時間という時間数に相当する早出残業を行わなければならないところ、久保がこれを自主的に行っていたとは考えられず、これらの時間数に対応する業務は他の課員が残業してカバーした旨主張する。しかし業務に支障が生じたかは、久保が多く残業をしていた時期と職場離脱を多くした時期との久保の具体的業務の比較をしなければ判断できないところ、原告の主張は、残業時間と職場離脱時間を算術的に加えたものに過ぎないから、久保が職場離脱を多く行っていた時期に他のデザイン課の職場の残業等が増えたことを示す的確な証拠がない以上原告の主張は認められない。

(三)  原告の前記三2(三)(1)ないし(10)の行為、命令書第1の3(6)クの米山次長の言動から考えれば、久保に対する前記(一)(1)ないし(6)記載の処遇は、原告が久保の正当な組合活動を嫌悪してなした不利益取扱いであるとともに他の組合員に対しみせしめとすることによって参加人の弱体化を狙った支配介入であり、法七条一号及び三号に該当する不当労働行為であると解する。

8  石塚について

(一)  石塚が昭和五一年八月二〇日までオリエンタルサービス営業部営業二課において担当していた業務は、システムセールスで、担当会社は五五社、月商は一〇〇〇万円であった。

これに対して石塚は、昭和五一年八月二〇日以降は、(1)同日営業担当の職を解かれ、(2)同年九月に担当業務の変更の手続きとこれに伴う得意先へのあいさつまわりをした以後は、昭和五四年三月に至るまでカタログ発送の宛名書きとカタログ発送依頼表の整理のみをやらされ、(3)命令書第1の3(7)ス、タ、テ、ノのとおり他の課員から隔離するような位置に石塚の机が配置され机のうえの電話が取り外された。

命令書第1の3(7)ソのとおり、カタログ発送の宛名書きは一日平均三〇枚程度で一時間もかからずに終ってしまうものであって、この宛名書きやカタログ発送依頼表の整理は、オリエンタルサービス総務部管理課入社したての女子社員が片手間で行っていた業務なので、月商一〇〇〇万円の営業担当業務に較べて単純な作業であることは明らかであって、右の業務変更は格下げであり不利益取扱いと解される。

また(3)の机の配置換えは、いずれも石塚の机のみを他の課員から離れた位置に置く合理的な理由はないから、参加人の組合員である石塚を他の課員から隔離して同人を孤立させようとするものであって不利益取扱いである。営業課の課員でありながら石塚の机の上の電話を撤去したことも、電話の本数に限りがあるとはいえ組合員である石塚を差別するもので不利益取扱いである。

(二)(1)  原告は石塚が得意先から終業時刻に近いころ「今から来てほしい」との電話連絡を受けたのにこれを断ったことを同人の営業担当解任の理由のひとつに挙げており、(証拠略)には右の事実があった旨の記載部分がある。しかしこれは土屋主任からの伝聞であるのみならず、日時相手方等が特定されていないので、(証拠略)における「納品について顧客から要求を受けたときに時間外だからといって断わったことはない」との供述に照らし信用し難い。

(2)  原告は、石塚が終業時刻後の得意先との食事をしながらの打ち合せに連絡もなく帰ってしまったことも同人の営業担当解任の理由に挙げ、(証拠略)には右の事実があった旨の記載部分がある。しかしいずれも土屋主任からの伝聞に過ぎず(証拠略)における「上司の残業命令を拒否したことはない」旨の供述に照らし信用し難い。

(3)  また原告は、石塚がチームワークを省みない自分勝手な行動を取ったので同人を営業担当から外したと主張し、その例として月末に休暇を取ったこと、休日出勤を一日しかしなかったこと、時間外における営業マン同士の情報の交換を行わなかったことを挙げる。

確かに石塚は、昭和五一年五月三一日に住宅新築資金を銀行で借りる手続のために休暇を取ったが、(証拠略)によれば石塚が担当していた得意先の集金日は毎月二八日であることが認められるので、三一日に休暇を取っても石塚自身の担当業務に支障が生ずることはなく、また営業二課では月末の代金回収を効率よく行うため他の担当者の集金を地域ごとに分けて手伝うことがあったものの、命令書第1の3(7)クのとおりこの地域の割り振りは当日になって決まるのであるから、石塚が三一日の朝に連絡して休暇を取ったことは特に非難されるべきものではない。

また石塚は土曜日の休日出勤を一回しか行わなかったが、この休日出勤は任意のものであるから、これをしなかったとしても特に非難することはできない。

石塚は週一日の営業担当者の打ち合せが時間外にあるときには終業時刻が過ぎても残っていたが、それがない日は終業時刻を過ぎると同僚が残っていても帰ったことがあったが(命令書第1の3(7)サ)、打ち合せがない日には特に上司から残業の命令はないのであるから終業時刻を過ぎて残っていることは任意のものであって、これをしないことをもって石塚を非難することはできない。

そして(証拠略)には、石塚が右のような行為をすることによって同僚との融和を欠いた旨の記載部分があるが、福島伸夫の場合はそのような報告を受けたというものに過ぎず、益戸省司もオリエンタルサービスの営業部長であって石塚の直属の上司ではないから、営業二課の他の課員もしくは直属の上司である土屋主任の供述等による裏付もない本件においては容易に右記載部分を信用することはできない。また同僚との融和の点に関して(証拠略)の福島伸夫の証言調書には、石塚が女子社員から「仲間じゃない」と言われた旨の記載部分があるが、これは土屋主任がそれを聞いて更に土屋主任から福島伸夫が聞いたものに過ぎず日時等も明確ではないから信用できない。

(4)  さらに原告は、得意先から石塚の担当の変更を要求されたことがあったことを同人の営業担当解任の理由に挙げ、(証拠略)には、石塚が電話による納期や技術的な問い合せに応じないこと、休暇を理由に納品を拒絶したこと、特注品の短期間依頼の相談に応じてくれないことを理由に同人の担当変更を要求された旨の記載部分がある。しかしこのような理由による担当変更であれば土屋主任が石塚に注意するのが通常なのに、かえって命令書第1の3(7)キのとおり土屋主任は「ウマが合う会社と合わない会社がある」と言って石塚に担当の変更を求めていることから右記載部分は信用し難い。

(5)  石塚は、営業を担当していた期間に命令書第1の3(7)シのとおりの業務上のミスをしたが、いずれも原告の業務に重大な支障を生じさせる性格のものではなく、さらに石塚にのみこのようなミスがあって他の営業担当者にはこのようなミスがまったくなかったということも考えられないので、これらのミスのみでは石塚の営業担当解任の理由にはならない。

(6)  また原告は、石塚自身(証拠略)において営業担当者には不向きであることを認めていると主張する。しかし(証拠略)によれば、石塚は、営業担当を命じられたときに営業について家庭訪問セールスのようなイメージを持って不向きであると思ったが、オリエンタルサービス営業第二課における営業は実際には企業を相手とするシステムセールスであるとわかり自分でもできると思うようになったことが認められるので、石塚が自分自身で営業第二課での担当業務が不向きだと思っていたわけではなく、まして営業担当から外されてカタログ発送業務担当することが石塚の希望に沿うものであったとは考えられない。

(三)  原告の前記三2(三)(1)ないし(10)の行為、命令書第1の3(7)ウの益戸部長の「組合をつくって会社がつぶれないかね」という発言、同第1の3(7)カのビラ配布時における職制による妨害、同第1の3(7)ツ、テの安全運転講習会等からの排除、同第1の3(7)ナ、ネの石塚の組合活動後の職制によるつるしあげやいやがらせ等を考えると、石塚に対する前記(一)(1)、(2)、(3)の処遇は、原告が石塚の参加人執行委員及びオリエンタルサービス分会執行委員長としての正当な組合活動を嫌悪してオリエンタルサービスを通じて行わせた不利益取扱いであるとともに、他の組合員に対してみせしめとすることによって参加人の弱体化を狙った支配介入であり、法七条一号及び三号に該当する不当労働行為であると解する。

9  岡島について

(一)  岡島が本社技術部開発課において昭和五二年四月まで担当していた業務は、主にジェネレータ付サーボモーターの開発、二〇番ヒスリシスクラッチの試作等の開発業務であった。

これに対して岡島は、(1)昭和五二年四月一二日にそれまでの担当業務から外されて、中村課長から新入社員のしおりを渡されて感想文の提出を命じられた、(2)同日中村課長にジェネレーター付サーボモーターの開発が遅れたことの反省文の提出を命じられた、(3)同年四月一九日から五月一九日までは、中村課長から新入社員のしおりを再度渡された以外には一切仕事の指示がなかった。(4)同年八月の組織変更と人事異動によって命令書第1の3(4)サのとおり技術部開発課の課員が大池と岡島のみになり、机の位置も入口近くの空席に囲まれたところに配置された。

入社して三年を経過した岡島に対して担当業務をすべて取り上げたうえ、新入社員のしおりを読ませて再教育する必要があったとは考えられないので、岡島に対する(1)、(2)、(3)の処遇は、同人に精神的苦痛を与える不利益取扱いであり、(4)についても、前記三4(一)のとおり岡島や大池を他の従業員から隔離する不利益取扱いである。

(二)  原告は、岡島が昭和五〇年七月頃にジェネレーター付サーボモーターの開発を命じられたのに昭和五二年四月になっても開発業務を完成することができなかったので、岡島に反省を求めるために前記再教育を行った旨主張する。

確かに岡島がジェネレーター付サーボモーターの開発を命じられてから試作部品を組み立てて実験を開始するまでに一年八か月位の期間が経過しているが、もともとこの開発業務は、岡島が「時間的にやれるかどうか自信がない」と言って引き受けに消極的であったのを中村課長が「他の仕事のあいまに進めてくれ」と言って引き受けさせた(命令書第1の3(8)ウ)ものであることから、必ずしも岡島の主な担当業務であるとはいえない。そして岡島は0番サーボモーターの開発の他にデーター測定等の短期の仕事を常時四・五件持ち(命令書第1の3(8)イ)、さらに昭和五一年一月頃からはUL規格モーターの開発を最優先でやるように指示されていた(命令書第1の3(8)カ)のであって、これらの業務が遅れたとの証拠はないのであるから、必ずしも主たる業務とはいえないジェネレーター付サーボモーターの開発が遅れたとしても、そのことを理由にして前記(一)(1)、(2)、(3)の再教育をするまでの必要があったとは考えられない。

(三)  原告は、ジェネレーター付サーボモーター開発業務の遅れは、岡島が就業時間中に職場離脱をし、残業を拒否していたことが原因であると主張する。

まずこのうち就業時間中の組合活動については、岡島は昭和五一年一〇月から昭和五二年四月までの間にこれを理由に一九時間四三分の賃金カットを受けているが、この就業時間中の組合活動によって本来長い期間の研究が必要である開発業務に影響が生ずるとは考えられない。そして(証拠略)によれば、この就業時間中の組合活動は参加人の秋闘及び春闘要求についての団体交渉を原告が拒否したことに対し岡島が参加人の執行委員として抗議行動や対策協議をするためになされたことが認められ、原告の参加人に対する前記三2(三)(1)ないし(10)の行為に照らせば、岡島のような組合活動は参加人の組合運営に不可欠であるとともに、岡島が就業時間中に組合活動をせざるを得なかったのも原告の側にその原因があるものと考えられる。従って岡島の就業時間中の組合活動は正当であって、この組合活動を理由に岡島を非難することはできないと解する。

また残業拒否については、岡島は昭和五〇年九月ころから残業を行わなくなったが、前記三2(三)(2)のとおり松戸労基署は、昭和五〇年一一月七日に当時締結されていた三六協定は従業員代表の資格要件に欠けるとして残業中止を原告に指示したのであるから、少くともこの時点までは岡島が残業拒否をしてもこれを非難することはできない。そして同年一二月四日に原告が従業員代表と新たに三六協定を締結した後についても、上司の具体的な残業命令に対してこれを拒否するのはともかく、残業をしてでも開発業務を完成させるという姿勢を示さなかったこと自体が雇用契約上の義務違反となるわけではないから、残業をしなかったことが前記(一)(1)、(2)、(3)の再教育の理由にはならない。

(四)  原告は、岡島に再教育が必要であった理由としてカタログ送付依頼の電話の際相手の名前を聞き漏らしたことを挙げる。

しかしこのカタログ収集の指示は昭和五二年四月になされたが、この時点では既にジェネレーター付サーボモーターの実験が開始されている(命令書第1の3(8)サ)のでこのようなカタログの収集が必要であったかは疑問であるし、本来他社の製品のカタログ集めを個人名で行うように従業員に命ずること自体社会的に妥当性を欠くので、原告がカタログ収集の方法の不手際について岡島を非難することはできず、これを同人の再教育の理由にすることもできない。

(五)  また原告は、岡島が一般的な礼儀作法に欠けることを同人の再教育の理由にしている、(証拠略)にはその旨の記載部分がある。しかし右陳述書において礼儀作法に欠ける具体例として挙げられているのは、中村課長が岡島に注意をしていたときにメモを取っていたことのみであるところ、これは命令書第1の3(8)スのとおり岡島が参加人の執行委員として残業問題をめぐって中村課長と口論した際の行動であるから、この事例は一般的な礼儀作法に欠けることの例としては不適切で、抽象的な前記記載部分のみでは岡島が一般的な礼儀作法に欠けていたことを認めることはできない。

(六)  原告の前記三2(三)(1)ないし(10)の行為、命令書第1の3(8)エの糸長豊技術課長が岡島に参加人から脱退するように働きかけたこと、同第1の3(8)ケの中村課長の言動から考えて、岡島に対する前記(一)(1)ないし(4)の処遇は、原告が岡島の正当な組合活動を嫌悪してなした不利益取扱いであるとともに、他の組合員に対してみせしめとすることによって参加人の弱体化を狙った支配介入であり、法七条一号及び三号に該当する不当労働行為であると解する。

10  岡井について

(一)  岡井が製造技術課において昭和五一年四月から昭和五二年五月頃まで担当していた業務は、鉄板抜型用製品取出シュートの製図及び手配(五点)、側板減速比穴抜型の変形型防止機構の取付(五点)、ギヤブランクの抜型の改造(六点)、ベアリングワッシャーの設計であった。

これに対し岡井は、(1)昭和五二年八月二三日に側板減速穴型の設計を提出した後同年九月二五日までは右設計の製作先での試験結果を検討する以外に仕事を与えられなかった、(2)同年九月から昭和五三年三月まで金型台帳の整備、シャフトキャップの改良、ファンの特性測定、リニヤヘッドの加工の手伝い等単発的な仕事を命じられた、(3)同年五月始めにアルミ製モーターケースのサビをヤスリで落す作業を行った、(4)同年七月モーター部品のプラスチック製のブッシュの穴の中のバリ取り作業を二万個行った。

右の業務変更のうち、(1)は一定期間仕事をまったく与えなかったのであるから不利益取扱いであり、(2)についても、昭和五二年五月までは常に数点のテーマを与えられていたのに較べると仕事が単発的であって、比較的大きなテーマであるシャフトキャップの改良にしても何度も設計の修正を命じながら完成前に製作の必要性がなくなったとして仕事を中止させている(命令書第1の3(9)サ)のであるから、技術者として格下げであり不利益取扱いと解される。この点に関し(証拠略)には、シャフトキャップの改良をするとコストアップになるので製作を一時見合わせた旨の記載部分があるが、仮にそれが中止の原因であるとしても、コストアップになることは最初からわかっていたはずなので、そのようなテーマを岡井に与えることは、岡井を大学卒の技術者として取扱っているとはいえない。

また(3)、(4)の業務は、岡井の従前の設計業務等に較べて単純作業であることは明らかなので不利益取扱いである。

(二)  原告は、岡井の設計ミス等により同人に対し昭和五一年四月に命じた四件のテーマの完成が遅れたので、基礎的な勉強を兼ねて一テーマに専念させることにした旨主張する。

確かに命令書第1の3(9)ウのとおりギヤブランクの改造については一部に設計ミスがあったが、改造が遅れたのは、図面が不ぞろいであったこと及び改造時期を合わせるため松谷課長から製作を一時ストップされたこともその原因になっているので、岡井の設計ミスのみが遅れた理由であるとはいえない。また鉄板抜型製品取出しシュートの製図及び製作、側板減速比穴抜型の変型防止機構の取付については、(証拠略)には仕事が遅れたのはいずれも岡井の設計ミスによるとの記載部分があるが、これは、どの点に設計のミスがありそれによってどのような遅れが生じたかを具体的に記載したものではないので(証拠略)に照らし信用できない。そして鉄板減速比穴型の変型防止機構の取付についても、図面が満足にファイルされておらず、また製造技術課の仕事は設計・製図したものを製作依頼して試験的に使用してもらえなければならないのに、岡井は必ずしも製作依頼現場の協力を得られなかった(命令書第1の3(9)キ(イ))のであるから、仕事の遅れについて岡井のみを非難することはできない。

これに対して(証拠略)には、図面が整っていないことを仕事の遅れの原因に挙げるのは技術者として失格であるとの記載部分があるが、製造技術課の他の課員が図面が整っていないときにどの位の期間で仕事を完成していたのかを示す的確な証拠はないから、右記載部分のみでは、岡井が段取りが悪く技術者の能力が劣っていると認めることはできない。

(三)  また原告は岡井が残業を行わなかったことが同人の担当業務の遅れの一因であり、このような仕事に対する姿勢につき反省を求めるために、基礎的な研究を兼ねて一テーマに専念させた旨主張する。

しかし前記三9(三)のとおり、残業をしてでも担当業務を進めようとする姿勢を示さなかったこと自体が雇用契約上の義務違反になるわけではないので、残業をしなかったことが前記(一)(1)ないし(4)の業務変更の理由にはならない。

(四)  原告の前記三2(三)(1)ないし(10)の行為、命令書第1の3(9)イのとおり糸長豊技術課長が岡井に参加人から脱退するように働きかけたこと、命令書第1の3(9)エの福島部長の言動、岡井が参加人豊四季分会の執行委員に就任した後に前記(一)の不利益取扱いを受けたことを考えると、岡井に対する右(一)(1)ないし(4)の処遇は原告が岡井の参加人豊四季分会執行委員としての正当な組合活動を嫌悪してなした不利益取扱いであるとともに、他の組合員に対してみせしめとすることによって参加人の弱体化を狙った支配介入であり、法七条一号及び三号に該当する不当労働行為であると解する。

11  池田について

(一)  池田が製造技術課において昭和五〇年八月頃から昭和五一年二月頃まで担当していた業務は、ブレーキパックの固定用リード線曲げ治具、ジェネレーター組立治具、バイト研削台、サーボモーターの圧入治具、フロッピー用モーターのローター研削ドライブ装置の設計であった。

これに対し昭和五一年四月以降の池田の担当業務は、(1)同年四月から六月までは仕事の指示がなかった、(2)同年七月末にフロッピー用ローター研削ドライブ装置についてドライブ方法と研削方法が変更になった途中経過をまとめるように指示された、(3)同年一〇月四日に松谷課長から何をやりたいか報告書の提出を命じられた、(4)同年一二月から昭和五二年三月までは仕事の指示がなかった、(5)同年三月一四日から四月二七日までベヘラー社の自動旋盤の英文案内書の和訳を行った、(6)同年四月二七日から八月一二日まで「金属の磨耗とその対策」という本を与えられて感想文の提出を命じられた、(7)同年八月一二日から一一月中旬まで「金属と合金の特性理論」という英語の原書の和訳を行った、(8)同年一〇月から昭和五三年一月までステッピングモーターのローターの歯幅狭め加工(やすりがけ)、回路箱の穴加工、銘板の検査を行った、(9)同年一月から八月までカタログ整理、回路箱の穴加工、金型の検査等を行った、以上のとおりである。

これら一連の業務のうち、(5)のベヘラー社の自動旋盤の英文案内書の和訳は、池田が自主的に読んでいたものを和訳させたのでありまた治具の仕事と密接な関係のある文献なのでその和訳も池田の担当業務に必要性があったと考えられるから、これを命じたとしても不利益取扱いとは解されない。しかしながら(1)、(4)の仕事の指示をまったくしなかったことは、仕事の取り上げであって不利益取扱いと解される。(2)については、命令書第1の3(10)カのとおりフロッピー用モーター研削ドライブ装置は三回の設計変更によって生産に支障なく使用されるようになったのであるから、あらためてレポートを提出する必要性があったかは疑問があるのみならず、池田が提出したレポートに対して松谷課長が突っ込みが足りないと指摘するのみで内容について具体的な指摘をしていないこと(命令書第1の3(10)ケ)を考えると、松谷課長が池田を教育指導する意思が真にあったかについても疑問があるので、他の仕事を取り上げて右レポート提出のみを命じたことは池田に対し精神的苦痛を与える不利益取扱いである。その後も他の仕事を与えずに(3)のレポートの提出、(6)の感想文の提出、(7)の和訳を命じたことは、これらがいずれもその必要性があったかは疑問でありかつ命令書第1の3(10)コ、サの松谷課長の態度からすれば池田を真に教育指導する意思があったとは考えられないので、いずれも池田に対する不利益取扱いと解される。(8)、(9)についてはいずれも池田の従前の業務に較べて単純作業であると考えられるので格下げであり不利益取扱いと解される。

(二)  原告は、池田に昭和五〇年八月頃から六点の治具設計を担当させたが、昭和五一年八月頃までかかっても現場の意向に合致する設計ができず一点も採用されなかったので、治具設計の担当から外し、担当職務を定めるために「何をやりたいか」のレポートの提出などを命じた旨主張する。

確かに命令書第1の3(10)オのとおり、池田が担当した設計のうちブレーキパックの固定用リード線曲げ治具、ジェネレーター組立治具、バイト研削台、サーボモーターの圧入治具については、池田の設計した治具は結果として実際に使用されることがなかった。しかしながらこれらについては、池田が設計を指示される前から現場で仮治具で生産されているものもあり、すべてが池田の設計の不備や納期の遅れが原因で採用されなかったとは考えられない。この点に関し、(証拠略)には、これらの設計について池田のものより現場で考察した方が優れているので現場の方を採用した旨の記載部分があるが、もしそのような理由で池田の設計を採用しなかったのであれば、池田にそのことを注意するのが普通であるが、(証拠略)によれば、池田は上司からそのことについて注意を受けたことがないことが認められるので右記載部分は信用できない。

(三)  原告の前記三2(三)(1)ないし(10)の行為から考えれば、池田に対する前記(1)ないし(4)、(6)ないし(8)の処遇は池田が池田の正当な組合活動を嫌悪してなした不利益取扱いであるとともに他の組合員に対してみせしめとすることによって参加人の弱体化を狙った支配介入であり法七条一号及び三号に該当する不当労働行為であると解する。

四  救済利益の点について

久保は、命令書第1の3(6)コのとおり昭和五四年三月一日に原告会社を退職しており、弁論の全趣旨によれば、岡井も昭和五五年一二月に原告会社を退職している。

しかしながら、本件不当労働行為事件の申立人は参加人であるから、その組合員である久保や岡井が退職したとしても、他に組合員を有する参加人自体について救済利益が失なわれるものではない。さらに本件命令書主文のうち久保や岡井に対する不利益取扱いにつき陳謝を命ずる部分についても、命令書第1の3(6)コのとおり久保はデザイン課から業務課への配置転換に抗議して退職したのであるし、岡井についても退職後救済利益を放棄したと認めるべき事情もないのであるから、救済利益があると解する。

五  本件命令後の事情について

1  (証拠略)によれば、池田は昭和五七年一二月一日に(証拠略)の取下げ書を作成し原告に渡したことが認められ、右事実によれば池田は本件不当労働行為事件のうち同人に関する部分を取り下げる意思を有していることが認められる。

しかしながら本件不当労働行為事件の申立人は参加人であって池田ではないから池田が被告への申立を取り下げることはできないのはもちろん、これが池田において不利益取扱いの救済を求めることを放棄する意思表示であるとしても、本件命令が発せられた後においては、参加人自体に本件命令を維持する利益がある以上、本件命令書主文中の池田に関する部分についてもいまだその必要性は失なわれていないものと解する。

2  原告は、本件命令が発せられた後において参加人所属組合員につき差別的な取扱いをしていない旨主張し、その旨の証拠を提出している。

しかしながら、本件命令における、不当労働行為の成立についての事実認定及び法律上の判断は、救済命令が発せられた時点を基準としてその適否を判断すべきであるから、右時点以後の参加人所属組合員に対する処遇の変更は、例えそれが事実であるとしても、本件命令における不当労働行為の成否の判断には影響を及ぼさない。

かえって(人証略)の各証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告と参加人との間で組合員の処遇について話し合いがつき組合員に対する差別的な取扱いがすべて解消したとは認め難いので、参加人には本件命令を維持する利益があると解する。

六  以上のとおりであるから、本件命令に原告の主張するような違法はなく原告の本訴請求は理由がない。

よって本訴請求を棄却することとし、訴訟費用(参加によって生じた費用も含む)の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九四条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荒井眞治 裁判官 手島徹 裁判官中山幾次郎は填補につき、署名押印できない。裁判長裁判官 荒井眞治)

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